2017年10月3日 『キッズ体操、速石先生、ありがとうございました』
4日に監査をひかえ、カッキー家ではバタバタしてるこの日、rainbow設立前からのメニューだったキッズ体操教室最後が終わります。
理由は担当してくださる速石先生の本業が多忙になったから…ではあるのだけれど…。
同世代の僕には分かる彼女の苦悩があった。
キッズ体操教室は毎週火曜日、正午頃の体操用具準備から始まります。
それは僕と速石先生が担当し、毎回色んな話をしながらやってきたのだけれど、時折、速石さんがもらす不安。
別れが近づくのを感じながら、僕は元気にふるまって速石先生に声かけることしか出来なかった。
速石先生の不安は僕の不安でもあるんだよ。。。
そんなある日、チェアビクスの長崎先生とNPO法人格取得の話をしていて、長崎先生に 「垣尾さんは次のステージに行かれたんですね…」
という風に言われて、自分が次のステージに行ったという感覚がない僕は速石先生がいなくなる不安を口にした時、長崎先生は 「速石先生も次のステージに行かれましたよね。」 と笑顔で答えられた。
そうか、僕が総合型クラブ天の架け橋〜rainbow〜を卒業し、Sports Club RAINBOWで新たなスタートをきるように、速石先生も総合型クラブ天の架け橋〜rainbow〜を卒業し、新しい場所へ行かれるのだなと納得した。。。
そして卒業の日。
速石先生はいつもと同じように元気に明るく楽しい授業をしてくれました。
ずっと思ってたことがある。
子供たちはここに体操を習いには来ていない。
楽しみにきているのだと…。
他の体操教室にはないだろう、学校の延長のような雰囲気があり、僕は心の中で “速石学級” と呼んでいた。
初級・中級クラスが終わると引き続き上級クラスの授業があるのだけれど、この日は別れを惜しむ初級・中級の子供たちで、上級クラスの授業が遅れた。
それでも上級クラスの安佐子ちゃんは、「みんなで写真を撮ろう」
と授業の遅れを気にせずこの時間も授業だと言わんばかりに、初級・中級クラスの子たちと先生の別れを尊重してくれた。
これこそが速石学級の魅力。
かなみんも含め、低学年の子供たちは本当に上級生のお兄ちゃんお姉ちゃんに可愛がっていただきました。
上級クラスの授業もいつもと同じ雰囲気で進んだ。
そんな中で稲本きらくんが見せる大技に心が震えるのを感じた。
スタート時、学校の体育の延長をコンセプトにしていた当教室。
それでも続けることでこんなことが出来るようになるんですね。
もし速石先生がずっとrainbowにいたら、かなみんはどんな姿を見せてくれただろう?
みやこちゃんや涼琶ちゃんは素晴らしい選手になったかもしれないな…。
そんなことを考えると、ちょっと女々しくなりますが、でもその姿が見れなくて一番残念に思ってるのは速石先生であることは間違いないはず。
僕は言葉には出さず、その気持ちを飲み込んだ。。。
最後はみんなで一緒にドッチボール。
ほらね、やっぱりここは “速石学級” なんだって♪
最後に…
速石先生、設立前から今日まで本当にお世話になりました。
思い返せば出張体操教室を始める際に大喧嘩をしたり、りゅうきくんを身篭った時にはその不安を受け止められず泣かしたこともありました。
ほんまに色々あって、正直めんどくさいなと思ったこともありましたが、総合型地域スポーツクラブに飛び込んで不安だらけの僕を速石先生が時にはアスリートの厳しい目線で支え続けてくれたことでここまでこれたと思っています。
初めて出会った時、“女神が舞い降りた” と思ったあの気持ちは一生忘れませんよ。
本当に本当に長い間ありがとうございました。
「また一緒に!」 という気持ちもありますが、とりあえず今はその気持ちに蓋をしてお別れしましょう。。。
速石先生、次のステージで、頑張ってくださいね。
さようなら。。。
総合型クラブ天の架け橋〜rainbow〜
クラブマネジャー・垣尾 靖
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